104 1951年、長野県軽井沢に生まれ る。1956年に家族で東京に移る。幼 少より製薬研究所所長の父に連れら れ、鳩山一郎首相を始め国内外の著 名な政治家や事業家の姿に接して いた。 1970年慶應義塾大学理工学部応 用化学科に入学。しかし、すぐに中退 し、杏林大学医学部に入学。卒業後 は大学院に進み、1981年に医学博 士。専門は心臓病学である。 1985年、米国のトーマス・ジェファー ソン大学医学部生理学教室に留学。 在米中の20ヶ月に医学論文16編を書 き上げた。契約期間満了時には大学 から強く慰留されるも日本に帰国。杏 林大学内科講師、助教授、1999年に 保健学部救急救命学科教授となる。 また、大学院国際医療協力研究科 教授を兼ねる。 米国心臓病学会フェロー、米国先 端医療会議キレーション療法認定医。 また国内では内科認定医、循環器専 門医、日本心臓病学会フェロー、東洋 医学専門医資格などを有していたが、 後に国内の資格は全て返納する。 コミュニケーション、特にコーチング に造詣が深く、1999年にはNPO法人 日本コーチ協会の初代会長に就任。 日本で初めて医療コーチング学を大 学院で教え、日本の医療コミュニケー ションに一石を投じる。教授職の傍 ら、2004年に統合医療のスピックサロ ン・メディカルクリニックを開設、そこで 確立した治療を普及させるために点 滴療法研究会を2007年に設立、現在 では1,000人以上の医師・歯科医師ら が日本全国で高濃度ビタミンC点滴 療法をがん患者や慢性疾患患者に 提供している。 しかし、当時の硬直した日本の医 療は患者のためにも日本国のために もならず、もっとリベラルな医療構想 が必要であると考えていた。 しかし、大学の外でなければ医療 に革命を起こせないと考え、2008年 に任期9年を残したまま教授職を捨 て、野に下る。 下野してからは、高濃度ビタミンC 点滴療法によるがん治療の普及、福 島原発事故による放射線被曝による 健康障害の治療と予防、そして子宮 頸がんワクチン副反応の治療につい て、世界15カ国で30回以上の招待講 演や教育講演を行っている。 2008年に国際統合医療教育セン ター所長に就任。その後、事業構想 大学院大学研究所客員教授、国際 統合医学会会頭、国際オーソモレ キュラー医学会会長、第47回国際 オーソモレ キュラー医学 会東京大会 会長、一般 社団法人日 本オーソモレ キュラー医学 会代表理事 などを務める。柳澤氏はカナダに本部 がある国際オーソモレキュラー医学 会の会長を2023年まで12年間務め、 コロナウイルスのパンデミックやコロナ ワクチン後遺症の治療を学会から世 日本に於ける予防医療の草分け
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