Dr. Bao Kun Liu Q:『医徳高尚』の教えに沿った未来像を劉教授は描か れているということでしょうか。 L:この箴 しん 言 げん は祖父が私に遺してくれたものです。まだ 私が少年だったころに、実は『収徳培長 徳高増長』と いう言葉を自分自身で考案し、理想とする自分像として いました。今でもこの言葉が一番心に刺さっています。 余命半年から生還させた「奇跡の統合医療」 Q:話題を観念的な内容からより具体的な劉教授の統合 医学の話に、再度、戻していきたいと思います。 L:具体的な話をしていくために、あなたのがんを事例と して進めていってもいいかな? Q:劉教授のお陰で今日も元気に 生きていられるのですから存分に。 L:あなたは「前立腺がん骨転移」 という大変重篤ながんに罹患しま した。私は羽田空港に到着してあ なたを一目、見たときに、重大な 疾病に罹っていることを見抜き、 すぐに大学病院で精密検査を受け るようにと伝えました。 Q:そう言われて翌日、大学病院 に行って検査を受けました。その 検査結果を見た劉教授は、中国に 急いで帰国されて、私個人仕様に 処方された中医薬を送ってくださいました。 L:あなたががんに罹患したのがわかったのは、劉家の 秘技「百会内照術」でがんの在処を見つけていたからで す。その後、精密検査の結果を読み病状の程度などを 確認しました。80年代に日中文化交流で来日し日本医科 大学で様々ながん細胞を電子顕微鏡で観て研究していた 経験も、あなたの命を救う契機となったということです。 Q:当時、一番驚いたことは劉教授から届いた中医薬を 服用後2~3日目から前立腺の辺りが痛痒くなり、小水 時に血が混じった粘性の液体が出てきたことでした。 L:処方した中医薬は特別仕様の煎じ薬で素早く効果を 発揮し、同時にがんの増殖を抑え鎮めるように意図した あなた専用のものでした。最初に前立腺内で石のように 硬くなっていたがん細胞を溶かしながら脊髄中に薬効が 届くように設計してありました。その結果1カ月半ほど でがんはすべて鎮まり、徐々に消えていきましたね。 Q:2年後の骨シンチ検査で、当初10数個あった黒い影が 1個だけとなり、慌てて医師たちが様子を見に来ました。 L:あなたのがんは、不内外因の影響が情報源となって、 前立腺で細胞ががん化して発症し、やがて脊椎を伝って 骨へ転移しました。このような診断結果を導き出した後、 あなた用に設計処方した中医薬で治療をしていきました。 中国伝統医学の叡智と最先端の医療機器で得た検査結果 からの情報などと結合していくことで、統合医療は日々 進化していきます。生物物理学や量子生物学、ゲノム医療 や先制医療など最先端の生命科学の研究成果や知見は、 日進月歩の勢いで進化・発展を続けている。今後、医学・ 医療に関わる事柄以外にも天文学、人文科学など多岐に 亘る学識や事象などをカバーしていく必要があります。 Q:医学の道を探究することとは、 奥が深く、幅が広い学問の王道を 歩んでいくようなことなのですね。 L:私は大学を卒業した後に最初 に就いた職はオリンピックチーム の顧問医師という仕事でした。 この仕事で、治療水準高、効能回復 快、治療周期短という3つの目標を 立てて選手たちを素早く精巧精緻 に、完治させる必要がありました。 この過酷な体験が、後の私を鍛え 形づくっていきました。 Q:最後に、今後の目標と方向性 などをお聞かせくださいますか。 L:「病万変」という言葉があります。病気は常に時間の 経過とともに移り変わっていくという意味です。細菌や ウイルスも刻一刻と変異していきます。生活習慣や社会 自然環境によって現代の病の病因も次々と変化します。 私はこれまでにたくさんの国々、地域を巡ってきました が、どの国にも、どの地域でも、どの民族であっても必ず そこには固有の素晴らしい医学体系や医療技術がありま す。これら固有の医療技術や体系と、他のものを「統合」 してより良い治療法や医療技術を創り出していくことが 私の「天命」であり、これからの医学・医療の発展に不可 欠なことではないかと考えています。 Q:とても素晴らしいお話をありがとうございました。 L:とても心地よい時間を過ごせました。ありがとう! 私は専門分野で日々新しい研究課題に向かって研鑽を 積んでいる研究者の方々と、「上 ・ ・ 手い中国料理」を囲んで 語り合う時間が最高の楽しみなのです。今年も銀座で、あの 素晴らしい逸品を食すのがとても待ち遠しい……。 (取材・インタビュー、文責:宮﨑 幸男) ・ 骨シンチ検査結果。2019.5.3(上)2021.6.3(下) 西洋医科学界からも注目を集めながら 自らが理想とする新たな「統合医学の大局」を探究し続けていく 47
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