銀座飛雁閣お取り寄せカタログ2026/27

116 1951年、長野県軽井沢に生まれる。 1956年に家族で東京に移る。幼少 より製薬研究所所長の父に連れられ、 鳩山一郎首相を始め国内外の著名な 政治家や事業家の姿に接していた。 1970年慶應義塾大学理工学部応 用化学科に入学。しかし、すぐに中退 し、杏林大学医学部に入学。卒業後 は大学院に進み、1981年に医学博 士。専門は心臓病学である。 1985年、米国のトーマス・ジェ ファーソン大学医学部生理学教室 に留学。在米中の20ヶ月に医学論文 16編を書き上げた。契約期間満了時 には大学から強く慰留されるも日本 に帰国。杏林大学内科講師、助教授、 1999年に保健学部救急救命学科教 授となる。また、大学院国際医療協力 研究科教授を兼ねる。 米国心臓病学会フェロー、米国先 端医療会議キレーション療法認定医。 また国内では内科認定医、循環器専 門医、日本心臓病学会フェロー、東洋 医学専門医資格などを有していたが、 後に国内の資格は全て返納する。 コミュニケーション、特にコーチン グに造詣が深く、1999年にはNPO法 人日本コーチ協会の初代会長に就任。 日本で初めて医療コーチング学を大 学院で教え、日本の医療コミュニケー ションに一石を投じる。教授職の傍 ら、2004年に統合医療のスピックサ ロン・メディカルクリニックを開設、そ こで確立した治療を普及させるため に点滴療法研究会を2007年に設立、 現在では1,000人以上の医師・歯科 医師らが日本全国で高濃度ビタミンC 点滴療法をがん患者や慢性疾患患者 に提供している。 しかし、当時の硬直した日本の医 療は患者のためにも日本国のために もならず、もっとリベラルな医療構想 が必要であると考えていた。 しかし、大学の外でなければ医療に革 命を起こせないと考え、2008年に任 期9年を残したまま教授職を捨て、野 に下る。 下野してからは、高濃度ビタミンC 点滴療法によるがん治療の普及、福 島原発事故による放射線被曝による 健康障害の治療と予防、そして子宮 頸がんワクチン副反応の治療につい て、世界15カ国で30回以上の招待講 演や教育講演を行っている。 2008年に国際統合医療教育セ ンター所長に就任。その後、事業構 想大学院大学研究所客員教授、国 際統合医学会会頭、国際オーソモレ キュラー医学会会長、第47回国際 オーソモレキュラー医学会東京大会 会長、一般 社団法人日 本オーソモレ キュラー医学 会代表理事 などを務める。 柳澤氏はカ ナダに本部 がある国際オーソモレキュラー医学 会の会長を2023年まで12年間務め、 コロナウイルスのパンデミックやコロ ナワクチン後遺症の治療を学会から 世界に提案する陣頭指揮に立った。 日本に於ける予防医療の草分け

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